9月15日は 母の命日でした。
母は 2006年 (平成18年) に亡くなりました。
だから もう7年になるんだね~。
亡くなって3年間くらいは しょっちゅう 母のことを思い出しては 泣いて 泣いて 泣いてだったけど
4年目くらいから ようやく 母がこの世にいないってことを 現実として受け止められるようになりました。
「いつまでも あると思うな 親と金」
ってあるけど ホント 自分の親が亡くなるなんて 全然 想像もしてなくて ずっと生きてるもんだと
思ってたんだはず・・・・
母が亡くなった時のショックは 本当に大きくて 3年間くらいは 母を思いだすと 胸がしめつけられて
涙があふれてきて 苦しくて苦しくてたまらないので なるべく 考えないように現実逃避してたかも・・・
母の法事も ものすごく嫌だったし 仏壇に線香をあげることも 嫌でたまりませんでした。
みんなが 仏壇に向かって 母に話しかけるのも なんか嫌で嫌でたまりませんでした。
今は 普通に線香もあげられるし 素直に 母に話しかけられます。
でも 未だに ひつこく 「お母さんが 生きていたらいいのにな~」 って 思います。
石垣島では お年寄りが沢山だし 皆さん すごく元気ですからね~ 80歳 90歳 普通にいます。
母は 66歳で亡くなったので やっぱり 早すぎると思います。
うちの子が 小学生だからかな~ 最近は 私が小学生だった頃の 母のことを
よく思い出します。
母は本当に 綺麗で優しくて 素敵な女性でした。
いつも 周りの大人から 「お母さん 美人だね~」 って言われて 小学生の私は すごく嬉しかったです。
保育士をしていた母は すごく忙しそうだったけど 毎朝 美味しそうなお弁当を作ってくれました。
私は 島では唯一の 私立小学校である K小学校に通っていました。
当時 市立小学校は 学校給食があるけど K小学校は 給食がなくて 毎日弁当でした。
姉 私 そして弟までだと 14年間も 小学校のお弁当を毎朝 作ってくれたことも
ホントに偉いな~ と思います。 私なんか たまのお弁当の日だけでも きついのに・・・
料理が得意な母は 毎日 美味しそうなお弁当を 作ってくれました。
あの頃は 作ってもらうのが当たり前だと思っていたけど 今になって 凄いことなんだって
感謝と尊敬の気持ちでいっぱいです。
「本当に 本当に 有難うございます。」 って心から思えます。
私が子供の頃も 結婚して子供ができてからも ずっとずっと母には 感謝の思い出が沢山あります。
私は ずっと 母が生きてる時に ちゃんと 「有難うございます」 って言えなかったことが 心残りでした。
元気な時に あらたまって本人に お礼を言うことは なかなかないらかね~
母は すごく元気だったのに 入院して すぐに昏睡状態になったので 話ができませんでした。
母が亡くなって1年くらいの頃かな~
夢に 母が出てきたんだけど その時の母は 私が小学生の時の母でした。
あの当時 母がよく着ていた ネック部分がストライブになってる赤のタートルシャツだったし
ヘアスタイルも あの頃の母でした。
普通の夢のように ストーリがすすんでいったんだけど ふと 私は
「お母さんは 死んじゃったのに・・・・」 って気がつきました。
そして 「これは 夢なんだ!!」 って分かりました。
でも お母さんが目の前にいるので 会えたことが とても 嬉しくて 嬉しくて
「お母さんに 言わなくちゃ!!」 と思い 母に抱きついて
「お母さん 本当に有難う 有難う 今まで有難う 有難う お母さん 有難う 有難う」
って何度も言いました。 母は笑って うなずいていました。
目が覚めた時に 枕がびっしょりになるくらい泣いていて そして 手に感触がありました。
母のことを ギュッと抱きしめたんだけど その感触が 体にありました。
私は 目が覚めてからも 声を出して 大泣きしました。 本当に 母に会ったんだと思いました。
私が 「有難う」 って言えなかったことを ずっと心にひっかかって 苦しんでいたので
会いにきてくれたのかも・・・・
親が生きていることは すごく羨ましいです。
皆様 自分のご両親 大切にしてくださいね。
そして 普段 照れ臭くて なかなか言えないかもしれないけど ちゃんと 今までの感謝の気持ちを
口にだして 「有難う」って言った方がいいですよ。
お母さん 本当に有難うございます。 ずっと大好きです。